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2006/06/26

『マンダレイ』(47/100 '06

『ダンサー・イン・ザ・ダーク』も『ドッグヴィル』も未見なので、
ニコール主演のアメリカ三部作第一弾『ドッグヴィル』を見た人には、
今回の第二弾はあんまり評判よろしくないようですが、
あたし的には「才能はここにあったのか。。。」という衝撃度でした。

だれにも記憶から抹殺してしまいたい過去のひとつやふたつはあるものですが、
アメリカにとってのそれはおそらく奴隷制度で、
それを言われたら反論はおろか、どんな意見も言えないわけですよ。
だって、何か言ったら、それはどんなに正当でも真実でも、
絶対に否定されるし揚げ足とられるに決まってるんだもん。

だから、この映画を見たらアメリカ人は、白人でも黒人でも、
きっとだれひとりいい気分にならないんじゃないかと思う。
白人だけは、最後にちょっと溜飲を下げるかもしれないけれど。

こういう問題は、たとえば最近では『クラッシュ』とか『ナイロビの蜂』とか、
いわゆる正統派映画では問題提起して「考えてみて」って言って終わるけれど、
本作は何と言うか、いい意味で茶化してるというか、
本質をつくために、わざとおちゃらけのベールに包んだというか。

たとえばの話ですが、
研究者が他国の現状を研究することがありますね。専門として。
それは、自身の問題でないぶん客観的に判断できるという利点はあるかもしれないけれど、裏を返せば本当の意味で問題を受け止めることができないわけです。
そこに民族や文化が絡んだとき、現実的には感情論と切り離せないことも多く、
それをあくまで研究の対象として扱うまったく無関係の人間には、
当事者としてはあれやこれや言われる筋合いなんてないんですよ。
余計なお世話、ってことです。あんたに何がわかるんだ、って。

多くの研究者は、そのへんを、もちろんきちんと認識していて、
認識しながらあえてその研究をすることにこそ意味があると、
そして、当事者とは違う何かしらの使命が、彼らにはあると、
あたしはそう信じているひとりですが、そういった使命は、
映画監督にも果たせる類いのものなのだと、この映画を見て思ったわけです。

芝居のようなセットは前作『ドッグヴィル』の流れを汲むようですが、
ほんとに芝居なんだな、これが。
ここんとこは、真剣に考えなくちゃいけないなぁ。。。

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